貧農の子から皇帝まで登り詰め、西ローマ帝国の故地を再征服した。また古代ローマ法を集大成した『ローマ法大全』の編纂やハギア・ソフィア大聖堂を再建を果たし、その功績から後世「大帝(ギリシア語:μέγας (megas))」と呼ばれた。しかし、一方では相次ぐ戦争や建設事業は国力の衰退という大きな負の遺産も残した。
483年 - バルカン半島のダルダニア州(現マケドニア近傍)に、貧農の子として産まれる。元の名前はフラウィウス・ペトルス・サッバティウス(Flavius Petrus Sabbatius)。
507年 - 軍人だった叔父ユスティヌスによって首都コンスタンティノポリスへ呼ばれ、その養子となってユスティニアヌスと改名。高等教育を受ける。
518年 - 叔父が元老院の指名によって皇帝ユスティヌス1世(在位:518年 - 527年)として即位するとユスティニアヌスも側近として重用され、中央軍司令官、コンスル(執政官)、カエサル(副帝)などの要職を歴任。
525年 - 首都の劇場の踊り子だったテオドラと結婚。
527年 - ユスティヌス1世死去。ユスティニアヌス1世として皇帝に即位。
528年 - トリボリアヌスらに古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』の編纂を命じる(534年完成)。
529年 - 古代からの伝統的多神教(異教)を弾圧。アテネのアカデメイアを閉鎖し、学者を追放。
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532年1月 - 「ニカの乱」勃発。増税などに不満を持つ首都市民に退位寸前まで追いこまれるも、皇后テオドラに叱咤され鎮圧。逆に皇帝による専制支配を固める。このとき3万人の市民が殺害されたという。
532年6月 - サーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。
533年 - 将軍ベリサリウスに北アフリカのゲルマン人国家ヴァンダル王国を征服させる。
535年 - イタリアのゲルマン人国家東ゴート王国の征服に着手。しかし東ゴート側の強固な抵抗に遭い、554年にようやくイタリア征服に成功。しかし、長い戦いでイタリアは荒廃。ローマ市の人口は、500人にまで減少したとも言われる。
537年 - ニカの乱で焼失したハギア・ソフィア大聖堂(現アヤソフィア博物館)の再建が完了。ビザンティン建築の最高峰として、現代まで伝えられることに。完成時の奉献式で、古代イスラエル王国のソロモン王の大神殿を凌駕する聖堂を建てたという思いから「我にかかる事業をなさせ給うた神に栄光あれ! ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだと伝えられる。
540年 - サーサーン朝との抗争再開。帝国の東西に敵を抱えることに。
541年 - 共和制ローマ以来の執政官制度を廃止する。
542年 - ペスト大流行。多くの死者が発生し、政府も機能不全に陥る。ユスティニアヌスも感染したが軽症。
553年 - 第2コンスタンティノポリス公会議を主宰。
554年 - 西ゴート王国からイベリア半島東南部の領土を奪取。地中海全域に「ローマ帝国」の支配を回復。
565年 - 83歳で子を残さずに死去。
晩年のユスティニアヌスは軍を軽視したため、軍は弱体化した。また、侵入する異民族に対しては金で紛争を解決しようとしたため、国家財政も破綻した。ユスティニアヌスの死後、北方からの異民族の侵入やサーサーン朝の攻撃を受けて帝国は急速に衰退し始め、8世紀半ばまで外敵の侵入と国内の混乱が続いた。